見切れ写真のコンセプトは
「中央に人がいない記念写真」
です。
何か気に入ったものを撮すとき、それを中心にして、ちょっとだけ自分の顔を入れて写す写真…それが見切れ写真です。
そして、その見切れ写真をFacebookに投稿して楽しむのが、見切れ写真愛好家=見切りストなのです。
「え?見切れ写真って、顔がはみ出した写真のことじゃないの?」
それ、半分正解で、半分間違いです。
「見切れる」の意味
ハズカシイ話なのですが、私自信も見切れ写真を始めた頃、「見切れる」ということは顔がはみ出して切れることだと思っていました。
しかし、あるとき辞書で見切れるの意味を引いてみて本当の意味を知りました。
み‐き・れる【見切れる】
[動ラ下一][文]みき・る[ラ下二]
1 テレビ放送や演劇で、本来見えてはいけないものが見えてしまう。「裏方スタッフが―・れる」
2 写真や映像で、フレームに人物などの全体が収まらず、一部が切れている。「集合写真で端の人が―・れる」
提供元:「デジタル大辞泉」
ずっと私が思い込んでいた「見切れる」の意味は2番目の意味であって、本来は写り込んではいけないものが写真に入ることを「見切れる」といっていたのです。
だから、顔をはみ出させるのではなく、顔の一部分を入れるというのが、より正しい表現になります。
自分は主役ではない
たとえばこの写真。主役は、あくまでも東京スカイツリーです。
私は、顔が切れているのではなくて、顔の上半分だけが入り込んでいるのです。
自分がちょっとだけ入り込むことによって、主役である東京スカイツリーにちょっとだけ味付けをしているのです。
主役を生かすために、どのように自分が入り込む=見切れるかを考える。
見切れ写真はとても知的な遊びなのです。
いや、別に顔を入れなくてもいいんじゃない?
ハッキリ申し上げます。
写真には顔を入れるべきです。
たとえばこの写真は、見切れずに撮影した東京スカイツリーです。
これよりも良い写真は「東京スカイツリー」で画像検索すれば、山ほどヒットします。
でも、あなたが写り込んでいる東京スカイツリーの写真は、あなたにしか撮影できないのです。
見切れる事によって、その写真に自分をタグ付けし、貴方だけの作品として価値付けることができるのです。
じゃあ、顔全部でも良いのでは?
あなたが、ネットに顔を掲載することに対して、全く躊躇しない人であればそれでかまいません。
少しでも顔をさらけだすことに抵抗がある人にとって、見切れ写真は最高の武器となるでしょう。
私は、今まで失敗写真として見向きもされなかった見切れ写真の知られざる楽しさや奥深さを世に広めるために、見切れ写真家元として日夜鍛錬に勤しんでいます。
もし、あなたが見切れ写真に興味を持ち、Facebookにアカウントを持っていたら、ぜひコチラの公開グループをのぞいてみてください。
公開グループなので参加しなくても投稿写真を閲覧できます。
全国の見切りストの活動を見ることができますよ。
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