「中央に人がいない記念写真」
これは見切れ写真のコンセプトです。だからといって、必ずしも人が中央にいてはいけないということではありません。自分がフレームとなり、中央を自分以外の何か(誰か)に空けておくのです。
本来、失敗写真として見向きもされなかった見切れ写真。実は、とっても楽しめる撮影法の一つなのです。
見切れ写真で多くの人々が、ゆるく繋がることを目指しています。
何か気に入ったものを撮すとき、それを中心にして、ちょっとだけ自分の顔を入れて写す写真…それが見切れ写真です。
「え?見切れ写真って、顔がはみ出した写真のことじゃないの?」
半分正解で、半分間違いです。
ハズカシイ話なのですが、私も見切れ写真を始めた頃、「見切れる」ということは、顔がはみ出して切れることだと思っていました。
しかし、あるとき辞書で見切れるの意味を引いてみて本当の意味を知りました。
み‐き・れる【見切れる】
[動ラ下一][文]みき・る[ラ下二]
1 テレビ放送や演劇で、本来見えてはいけないものが見えてしまう。「裏方スタッフが―・れる」
2 写真や映像で、フレームに人物などの全体が収まらず、一部が切れている。「集合写真で端の人が―・れる」提供元:「デジタル大辞泉」
ずっと私が思い込んでいた「見切れる」の意味は2番目の意味であって、本来は写り込んではいけないものが写真に入ることを「見切れる」といっていたのです。
たとえばこの写真。主役は、あくまでも東京スカイツリーです。
私は、顔が切れているのではなくて、顔の上半分だけが入り込んでいるのです。
自分がちょっとだけ入り込むことによって、主役である東京スカイツリーにちょっとだけ味付けをしているのです。
主役を生かすために、どのように自分が入り込む=見切れるかを考える。
見切れ写真はとても知的な遊びなのです。