東京マラソン2016を完走してから、はやくも1週間が過ぎました。
徐々に体の痛みが薄れてきて、あとは左膝の外側に若干の違和感が残るだけです。
記憶が薄れるまえに記録として残さなきゃ!と思い、少しずつ書いてきたら、予定外の長文になってしまいました。
教師の指導が入っていない下手な作文と同じように、なんの工夫もなく、あったことを時系列にならべているだけの文章です。
1万文字を超えたので、複数の記事に分けるべきなのでしょうが、なんとなく1つの記事としておきたいので、このまんま公開します。
読んでくださる人、読みにくくてごめんなさい。そして、ありがとうございます。
無計画な応募
どうせ当選しないだろうと思い、軽い気持ちで東京マラソン2016に応募してみました。
前年も応募し落選していたので、当選するはずがないと思っていたのです。
だから、結果発表の日も、そのことを忘れていました。
たまたま昼休みにFacebookをのぞいてみたら、チラホラと東京マラソン2016落選の報告が投稿されていました。
ああ、今日が結果発表だったのかと、一応自分のメールを確認してみたところ、まだ通知が届いていなませんでした。
あれ?もしや当選してしまったのではないか
と不安になりながらも、そんなことがあるはずないと根拠のない確信を持って午後の仕事に戻りました。
14時頃にiPhoneにメール受信の通知が入りました。件名は
「東京マラソン2016抽選結果のご報告」
すぐに内容を確認すると
このたびは東京マラソン2016にお申込みいただき、誠にありがとうございました。
定員を超えるお申込みがあり、厳正なる抽選を行いました結果、
「当選」となりました。
との記載がありました。
仲間に報告したところ、おめでとう!と言うだけで、だれも棄権しろとは言ってくれません。
私は、ハーフマラソンを走ったことがあるけれど、フルマラソンは走ったことがありませんでした。
それに、2015年は年間読書400冊以上に挑戦中で、ほとんど運動をしていませんでした。
それでもせっかく当選したのだから、とりあえず参加登録しておいて、だめだったら棄権すればいいや程度に思ってエントリーの手続きを進めました。
デブ用のマラソン情報をあつめる
当選して、最初にやったのは本を探すことです。
Googleで検索したのは「東京マラソン 完走 デブでも」でした。
驚いたことに、それにピッタリの本が存在したたのです。
すぐに購入して読んでみたのですが、それなりに努力を必要とする内容でした。
さらに著者は私の基準からしたら、デブではありませんでした。
本当のデブのためにマラソン情報は存在しなかったのです。
完走したら、本当のデブのためのマラソン本を書けるかもしれないなと思いましたが、私は筆無精なので無理だと思います。
ランニング再開する
エントリーをきっかけに、一応ランニングを再開しました。
それでも毎日というわけにはいかず、土日を中心にゆっくり走っていました。最長で15km程度です。
一応、東京マラソンを意識はしていたので、神戸と沖縄に旅行したときにも走り込んでいました。
青森のド田舎で田んぼの中を走るのとは違い、都市部でのランニングはテンションが上がり、東京マラソンもこんな感じかなあと期待を膨らませていました。
そんなときに私は病に襲われました。
りんご病です。
この病気、とてもカワイイ名前ですが、かなり極悪です。
子どもが罹患することが多い感染症なのですが、大人になってから罹患すると症状が重いのです。
その人が弱っているところを狙い撃ちで痛めつけきます。
私の場合は歯でした。
1週間以上、猛烈な歯痛に悩まされました。
どれくらい猛烈かというと、全部の歯を麻酔なしで神経抜かれたような感じです。絶え間なくロキソニンを飲み続けました。治療法がなく対処療法しかなかったからです。
その結果、全く走られなくなりました。
やっとりんご病が落ち着いた頃、私が住む青森の奥地は一面の雪景色になっていました。
無理して走れば、走られないこともないのですが、寒いし滑るし、道路は狭くなるしで、条件は最悪です。
近くにジムや屋内練習場のようなものが無いので、私は全く走らなくなりました。
外を走れないから中でトレーニング
そんなときに私を私をマラソンの道に引きずりこんだ、見切れ写真師範の岩野さん(以後サミー)からアドバイスメッセージが届きました。
それには、踏み台昇降運動をやれとかかれていました。
まったく練習せずにフルマラソンに出るわけにも行かないので、ホームセンターで踏み台を購入し愚直にそれを続けました。
最低1日30分。長いときには2時間続けました。
さすがに飽きるので大好きなアニメを見ながら取り組みました。
ただテレビを見ながらだとどうしても視線が下向きになるので、姿勢が崩れます。
だから、iPadを目の高さにおいて、それを見ながらやりました。
踏み台昇降運動は単純な動きですが、それなりに疲れるものです。
正直、それだけしかやっていなかったで、とても不安でした。
不吉なゼッケン番号
年が明けて東京マラソンの要項が届きました。
そこで初めて自分のゼッケンを知りました。
42180
見た瞬間、
惜しい!あと少しで42195じゃん!
と思ったのですが、視点を変えると、
あと15メートルでリタイヤしそうなナンバー
でもあるので、とても不安になりました
正直、インフルエンザに感染したら、大手を振って棄権できるのじゃないかとまで思っていました。
でも、そんなことを口にしながらも、ちょっと楽しみにしていたのです。
東京マラソン前日
2月27日土曜日、受付をするために上京しました。
新幹線を降りてすぐに東京ビッグサイトに向かったのですが、電車の中には、あきらかに東京マラソンに参加するような人がたくさんいました。みんな速そうです。
ビッグサイトにつくと、既にお祭りムードで、全国各地から御当地グルメの屋台が集まっていました。
焼き貝盛り合わせがとても気になったけど、完全に緊張していた私はまっすぐに受付会場にむかいました。
みんないかにもランナーっぽくて、私は、半端ない場違い感を味わっていました。
とにかくものモノスゴイ人数で、これだけ人がいたら、何人かはインフルエンザでも無理して出かけてきている人がいるかもしれないと思い、はやめにこの場を離れようと思いました。
もう二度と来ないとだろうから公式グッズを買おうと思ったけど、どこも長い行列なので断念。
その後、何人かに会ったけど、翌日に備えてアルコール無しで過ごし、早めに就寝しました。
東京マラソン当日 朝
当日の朝、5時に起床して、買っておいたコンビニおにぎりをむさぼり食いました。
忘れ物がないように何度も確認したのだけど、せっかく用意したブドウ糖の飴を忘れてしまったことに気づき一気にテンションがダウン。
田舎者の私は余裕を持って行動しないと不安になるので、7時に入場ゲートに到着するように電車に乗りました。
新宿駅では、田舎者でも道に迷うことはありませんでした。
なぜならほとんどの人が東京マラソンのスタート地点に向かう人だったからです。
ゲートを通過し、荷物を預け、とりあえず見切れ写真を撮影。
混む前にトイレにいっておきました。ものすごい個室数です。
仮設トイレの悪臭に吐きそうになりましたが、ここで排泄しておいたことが、後の結果に大きな影響を与えたのです。
スタート前
7時45分に、私のスタート地点であるLブロックに向かいました。
Lブロックは申告タイムが最も遅いグループなので最後尾からのスタートとなります。
他のブロックは道路で待機なのに、Lブロックは児童公園のような場所に集められました。
並んでからスタートまで1時間20分ほどで、走り出せるまでは1時間40分ほどあります。
その間、ずっと立ちっぱなしで、結構つかれました。
ベンチを確保した人が心底うらやましかったです。
時間が有り余っていたので、ツムツムで暇つぶし。
アイテムなしで過去最高のコイン数をゲットしたので、妻にメールすると、余裕だねと返事が。
スタート時刻が近づくと場内アナウンスが流れはじめ、否が応でもテンションが上がっていきます。
家族や友人からテレビを見ていると連絡がはいりました。
どの辺にいるのときかれたけれど、私の待機場所は確実にテレビに映らないようなところです。
スタート
9時10分、いよいよ先頭がスタートしました。
もちろんLブロックは、まだ動けません。
知人からはもうスタートしたかとメールが入るけど、まだスタートしてないし、そもそもスタートしてたら返信できません。
結局Lブロックがスタートできたのは20分以上過ぎてからでした。
自分だけメチャクチャ遅いのではないかと心配していたけれど、それほどでもなかったので心底安心しました。
ネットで調べたとおり、スタート地点をすぎてしばらくの間は、脱ぎ捨てられたビニールコートが路上に散乱していました。
気を付けていたはずなんだけど、何度か足を取られてこけそうになりました。
スタート地点を過ぎる時に、あとから走ったルートをトレースして楽しむために、ランニングアプリとGPSウォッチのスイッチを押しました。
さほど正確ではなかったので、もっと先にスイッチをいれても良かったと思ったのは、ゴールしてからでした。
10kmまで
スタート地点を越えてすぐのトイレには既に長蛇の列ができていました。
そんなに切羽詰まっているのかと疑問を持ちながら駆け抜けました。
とにかく最初の関門で時間切れになることだけは避けたかったので、いつもより少しだけ速めのペースで走ることを心がけました。
5kmは予想より早めに通過できました。走り出せたのが予想より早かったからだと思います。
このあたりで少しだけ余裕がでてきたので、せっかくだから見切れ写真を撮っておこうと思い背中のバックからスマホを取り出して短パンのポケットにいれました。
見切れ仲間が応援に来てくれていたので見逃さないように気を付けながら走りました。
見つけたときは嬉しさと安堵で、思わず駆け寄りました。
立ち止まって時間をロスするのは不安だったけれど、私のために色々準備して待っていてくれた方々の前を素通りするのは人として間違っていると思い、しっかりと記念撮影し、ネットへの投稿も済ませました。
10㎞から20kmまで
スケボーを抱えた若者が
「マラソンだろ走れよ」
と歩いている人に向かって言っていました。
お前が走れ!
と思ったけど、良く考えたら真理ですね。
もしかしたら、彼は東京マラソンに落選したのかもしれません。
東京タワーが見えて来たので見切れておきました。
家元だから走りながらの撮影もお茶の子さいさいです。
そろそろ腹が減ってきたのでのど飴を摂取。ブドウ糖キャンディを忘れてきたのが悔やまれます。
それでもやっぱり腹が減るので、飲食店の看板を声に出して読みながら走ることにした。
デブにはよい目標設定だと思います。
折り返し地点を過ぎると、反対車線に回収車が待機しているのが見えました。
あれにはお世話になりたくないものです。
なんとかハーフを超えました。
ここからは未体験ゾーンで、一歩進むたびに自己最長距離となります。
つまり、いつ途中でやめても、
「それでも自己最高だから」
と言い訳ができてしまうのです。
これは甘美な響きとして、その後何度も私の頭の中に浮かんできました。
このあたりからだんだんキツくなってきました。
20kmから30kmまで
35キロ過ぎてからがきついというが、おいらは25キロでもうキツくなっていました。
それでも銀座は沿道の人も多いしお店も多いので、走っていて全く飽きませんでした。
ここで気づいたことは
遅すぎると水も食料も品切れになる
ということです。
品切れのエイドが目立ち始めました。
あるエイドでは私の直前でポカリスエットが品切れになりました。
え~!とぶー垂れてみたら、優しいボランティアさんがペットボトルごと渡してくれました。
飲み物があっても紙コップが切れたら終わるようですね。
遅いランナーほど必死なので、是非改善して欲しいところです。
25kmの関門クリアしたところで、余裕時間が無くなってきていることに気付きました。
確実にペースが落ちていたのです。
体力もバッテリーも低下してきたので東京スカイツリー撮影を最後にバックにスマホをしまって充電することにしました。
30km関門を通過したときは、閉門まで1分未満になっていました。
計算上、私のペースでは、もう35km関門には間に合いません。
もう、あきらめてもいいんじゃないか?
どうせ練習してないし
それでも自己最高だし
という考えが、頭の中を支配し始めていました。
35km突破
ここまで走ったんだから十分だという気持ちと、あと12kmなのにもったいないという気持ちが入り交じっていました。
最終的には
完走できずに戻っても、だれも責めないだろうけど、残念だなあ。
できれば運動嫌いの息子に、デブな父親でも完走できた証拠をみせてやりたいなあ。
という考えが勝り、できるところまで走り続けることにしました。
とりあえず、ランニングウォッチでペースを確認するのはやめました。
遅れているからと行って、これ以上ペースを上げることは肉体的に不可能だったからです。
ふと気がつくと、100mほど後に金色バルーンのランナーがいました。
横一列でものすごい威圧感です。
彼らは完走支援のためのランナーらしく、彼らと同じペースで走っていると完走できるのだとか。
逆に言うと、彼らに抜かれるとヤバいと言うことです。
自然にペースが上がります。
その結果、右足のふくらはぎが痙り、ほどなく左足も痙りました。
止まったら確実に完走できなくなるので、ペースを落とし、痙らない程度の早歩きでその場をしのぎました。
そのときサミーの声援が聞こえました。
一緒に参加している見切りストの荒川氏(以後パッション)が30kmで関門にひっかかったことも聞きました。
パッションは私と同じマラソン初心者なのですが、申込時の申告タイムが私より速かったので、私より4ブロックも前のGブロックスタートでした。
よし!パッションに勝った!
という思いと同時に、
私まで完走できなかったら、懇親会が盛り上がらないだろうな、通夜の振る舞い酒みたいになるんだろうな
という思いが浮かんできました。
絶対完走してやる
と、決意をあらためて、風船ランナーに抜かれながらも、必死で食らいつき、なんとか35kmの関門を突破しました。
あとになって考えると、金色風船ランナー(完走支援ランナー)と回収バスに追いかけられながら走る緊張感を味わえるのは、遅いランナーの特権ですね。
たくさんの応援
まだ足が痙り気味だったので、サミーに近づきスプレーを貸してもらいました。
周囲から、
「ここまでくれば歩いても大丈夫」
という声が聞こえてきた。
そんなことがあるはずない!と、ゆっくりながらも再び走り始めました。
もう膝があがらないので、見た目もスピードも、早歩きに毛が生えた程度なのですが、私の中では全力疾走です。
はたからみたら歩いているように見えたでしょうね。
運河をわたる橋は、どれも上りがきつく、くじけそうになりました。
橋の上ででサミーの相方のタケ氏が声をかけてくれました。
弱っているときに名指しの声援は、驚くほど効き目があります。
しばらく進むと見切れチームを再び発見しました。
うれしいし、ありがたいのですが近寄っていく気力も体力も無く、手を振るのがやっとでした。
さらに進むと、大学時代、同じアメフト部のチームメイトだったH氏が声をかけてくれました。
これには泣きそうになりました。
アメフトをやっていたときの私は本当にヘタレで、今でもそれが尾を引いているのです。
その頃を知っているH氏に、私が必死になってゴールを目指している姿を見てもらい、声をかけてもらったのがこの上も無く嬉しかったのです。
さらにその先には、見切れ写真仲間のリンダ氏がいて、道路の反対側から声をかけてくれました。
実は最初は、何時間も走ると飽きるのでオーディオブックを聞きながら走ろうと思っていたのですが、イヤホンが邪魔なので止めたのです。
結果的に大正解でした。
沿道の声が聞こえなかったら途中でやめていた思います。
声援はマジで力になります。
声はエネルギーです。
オーディオブックなんて聞かないでおいて本当に良かったです。
ついにゴール
あと4kmとなってからはとにかく長く感じます。
本当に4kmしかないのか?と疑いたくなります。
ここで気づいたのですが、沿道から寄せられる「あと〇〇km!」は、あまりあてになりません。
どこまで行ってもあと4kmと言われたり、途中で急に距離が増えたり。
この頃になるとGPSの表示も誤差の積み重ねであてにならなくなっているので、公式の距離表示だけを信じた方が良いと思いました。
あと2kmの表示を見て、そろそろゴールの記念撮影用にスマホをだしたら、青森の同僚から
「完走おめでとう」
のメールが入りました。
いや、まだ走ってるし
と、返事を返しておきました。
どんなデマが流れていたのでしょうか。
ついにゴールが見えました。
15メートル手前でリタイヤすることなく、そのままゴールを通り過ぎました。
ああ、完走。
人生で二度と体験できないフルマラソンの初完走が、東京マラソンという大舞台で本当に良かった。
ゴール後の見切れ写真を撮っていると、たくさんの方から完走おめでとうのメッセージが届きました。
CSの中継やネットで完走を知ったみたいです。。
その後、電池は十分にあるのになぜかiPhoneがシャットダウンしました。
おそらく寒かったからでしょう。
ある意味ゴール後の方が大変
ゴール後ゆっくり歩いていると、急激に体調が悪化してきました。
さらに左膝が痛くてほとんど曲げ伸ばしできない状態に。
もし途中で本格的に歩いていたら、こうなっていたんだと考えると、ぞっとしました。
私と同時期にゴールした人達は当然余裕なんてあるはずもなく、みんなぐったりした感じで歩いていました。
亡者の行列のようにぐったりしながら一列になってゆるやかな坂を登っていく様子は、まるで古代の権力者の墳墓を作るために働かされている被支配者層のようでした。
ようやく預けた荷物を受け取り、着替え場所に行ったけど、着替える元気がまったくありません。
みんな地べたに座り込んでストレッチをしたり着替えたりしているが、一度座り込んだが最後、二度と立ち上がれなくなる自信満々でした。
だから立ったままでなんとかジャージの上下を羽織り、サミーが待っていてくれる場所まで移動しました。
これがまた長い!長すぎる。
ようやくサミー師範を見つけ、サミーの問いかけにローテンションで答えながらタクシー乗り場に移動したら長蛇の列。
ディズニーアトラクションにしたら15分待ち程度の行列ができていましす。
ようやくタクシーに乗り込むと、サミー師範が行く先を告げてくれたので私は後部シートで爆睡。タクシーは銭湯に向かいました。
銭湯の悲劇
眠っている間に銀座の先頭に到着しました。
寝ている間に足の痛みが強くなっていたようで、なかなかタクシーから降りられません。
銭湯ははなんと地下にありエレベーターもエスカレーターもなし。
さらに階段には踊り場が2つもありました。
シューズを脱ぐのも一苦労。
薄れ行く意識のなかでやっとシューズを脱いで下駄箱へ入れました。
こんなに疲労困憊なのに番台のおじさんは淡々と感情のこもらない声で私を迎え入れてくれました。
脱衣所で服を脱ぐのも一苦労。
とにかくしゃがみ込めません。
靴下を脱ぐのも、コンプレッションタイツを脱ぐのも、全てが重労働で時間がかかりました。
やっとのことで浴室へ入り、とにかく頭と体だけでも洗わなければと、必死で洗いました。
油断すると意識が飛びそうになります。
洗い終えてようやく湯船に入ったところ、さすが江戸の風呂、かなりの温度で、ちょっとした熱湯風呂でした。
入った瞬間、熱くて飛び上がりそうになったんだけど、もう飛び上がる体力さえなかったので、しかたなくそのままお湯につかりました。
再び意識が飛びそうになったので湯船からでたら、たちくらみが私を襲いました。
危ないと思ったので、湯船の縁に腰掛けてしばらく休むことに。
次に気がついた時には、背中から浴槽にダイブしていました。
入浴中の若者に
「大丈夫ですか?」
と声をかけられ助け上げられる始末。
もし洗い場に落ちていたら頭を打っていたところ。
おいらって運が良いのかもしれません。
これ以上、銭湯にいたら命が危ないので早々に着替えて出ることにしました。
早めに上がったつもりだったけど、何度か意識が飛んでいたのでそれなりの時間が経過していたようです。
待ってくれていたサミー師範、ありがとう。
感謝感謝の懇親会
またまたタクシーにのりこみ、懇親会場へ向かいました。
メチャクチャ近い距離らしいけど、私はすぐに爆睡。
到着した店を見て呆然となりました。
またもや地下で、エレベーターもエスカレーターもありません。
そして、またしても靴脱ぎ作業。
白無垢のお嫁さんよりも遅い歩みで店内を進むと、ようやく参加メンバーの元に到着することができました。
かなりの遅刻なのに、みんなが暖かく迎えてくれました。みんないい人。
走っている最中は、あれほど飲みたかったビールですが、全く飲む気になりません。
きっと飲んだらすぐに気絶してしまいます。
だからジョッキに氷いりの水を注文しました。
本来であれば、応援してくれた方や、わざわざ駆けつけてくれた方のところに出向いて挨拶して廻らなければならないところなのですが、一度座ると簡単には立ち上がれない状態なので、座ったままで失礼しました。
食欲もほとんどなく、水のあとはグレープフルーツジュースを飲み続けていました。
あとで調べたら果汁をとることは良いことらしく、本能がこれを選ばせていたのでしょう。
しばらくすると、店員さんが私とパッションに届け物を持ってきてくれました。
初マラソン挑戦の二人に、お祝いが届いたのです。
名も告げず立ち去ったらしいのですが、中に入っていたガンダムグッズを見て、だれなのかすぐに分かりました。
わざわざ銀座まで来てくれたのに、顔もださずに立ち去るカッコイイ人。
あえてここでは仮名とさせていただきます。
ありがとう炎上師匠。
徐々に体調が回復し、口だけは達者になってきたので、十分に楽しい懇親会でした。
最後に、今日の完走を述べる段階で、私が口にしたことは
「もう二度とやりません」
でした。
せっかく集まってくれた方々の気持ちに水を差すような一言かもしれませんが、その時の私の本音でした。
飲み放題の制限時間になったので、再び階段をのぼって店を後にしました。
最後はみんなで記念撮影。
見切れ写真家元の私ですが、見切れる余裕がありませんでした。
フルマラソン完走だから、フルフェイスでもよいと思います。
ホテルにて
タクシーでホテルまで送ってもらい、そのまま全力バタンキューと思っていたのですが、疲れすぎて逆に眠れません。
とりあえず妻に電話して完走の報告(遅!)をしました。
家族みんな、私が完走するとは思っていなかったので大きな驚きと喜びで一杯だったそうです。
そりゃそうでしょう。
私がほとんど練習していなかったことを、家族が一番知っているわけですから。
さすがに寝ないと次の日に差し障りがあるので、サロンパス100枚貼りの儀式を執り行ってから、ようやく眠りにつきました。
振り返ってみると
私が完走できたのは、途中でトイレに行かなかったからです。
ぎりぎりで関門を突破しているのですから、途中でトイレに入っていたら、30kmまたは35kmの関門でアウトでした。
人間、8時間くらいトイレにいかなくてもなんとかなるものです。
田舎者がボッチで参加した場合、個別の応援をもらえない可能性が極めて高く、途中で心が折れていたかもしれません
また、田舎者がボッチで参加して完走した場合、ゴール後に身動きがとれない状態になり、途方に暮れていたでしょう。
本当に、仲間に感謝です。
GPSウォッチを下さったTさん、ソックスを下さったYさんにも感謝です。
大きな膀胱と、素敵な仲間のおかげで完走できました。
翌朝
翌朝は筋肉痛と空腹で目覚めました。
左膝の外側がかなり痛く、ほとんど歩けませんでしたが、空腹には勝てず、なんとか起き出して、近くの松屋に出かけました。
東京マラソンの翌日は月曜日なので、周りには通勤途中の人がたくさん歩いていました。
そんな中をジャージで足を引きずりながらあるく私。
なんとか松屋に到着して、スタミナ生姜焼き定食特盛りをぺろりと平らげ、痛い足を引きずりながらホテルに帰りました。
10時に東京駅で自称札幌市民の友人と会う約束をしていたので、なんとか荷物をまとめてホテルを後にしました。
足の痛みは全くおさまる気配がなく、ほとんど曲げ伸ばしができない状態になりました。
この状態だったら、堂々と優先席に座ってもいいんじゃないか?と思いましたが、あえて立っていました。
神田から東京駅まで1駅だったし、座ると立ち上がるのにメチャクチャ時間がかかるからです。
東京駅でコインロッカーに全ての荷物を預けて八重洲北口方面へ。
これが結構遠い。
大丸の外でずんだシェイクを飲んでいる、自称札幌市民と無事合流。
彼といえばカレー。
一緒にカレーを食いながらしばし談笑。
自然に話の中心はマラソンになり、話の流れで完走メダルを見せようとして、預けた荷物にメダルを入れたことに気づきました。
しかし本当にメダルを入れたのか不安になり、小心者の私はホテルに電話してメダルを忘れていないか確認してもらうことにしました。
折り返しの電話ではメダルの忘れ物は確認できなかったけど、かわりにフィニッシュタオルを忘れていることを告げられました。
だめじゃん。
自称札幌市民の友人と早めにわかれて、痛い足を引きずり再び神田を目指しました。
近いホテルで本当によかった。
青森に生還
無事にホテルでタオルを回収し、すぐに東京駅へ向いました。
家族にも職場にも世話になったから気の利いたお土産を買いたかったのですが、広い東京駅を歩き回る気になれず、結局そこら中で売っていた東京バナナで済ますことにしました。
帰りの新幹線は、贅沢にも最初からグリーン車を確保していました。
ハーフマラソンの経験から、翌日の惨状を予測できたからです。
座席について間もなく眠りについたようで、次に気がつくとそこは雪国でした。
帰宅後、家族があたたかく迎えてくれ、私の長話を嫌な顔一つせず最後まで聞いてくれました。
レース翌日の筋肉痛が、かなりのものなので、
「明日からは徐々に良くなるさ!」
と油断していたのですが、
レース翌々日には、もっと上のレベルの筋肉痛に襲われました。
シップの貼りすぎで足が寒かったです。
自分が、筋肉痛が遅れてくる、中年であることをすっかり忘れていました。
喉元過ぎれば熱さを忘れる
あんなに大変な思いをしたのに、もう二度と走らないと誓ったのに、足の痛さが薄れてくると、次はどこに出ようかと思い始めている自分に心底驚いています。
とりあえず、
東京マラソン2017に申し込みするぞ。
あとは、神戸マラソンと横浜マラソンだ。
どれか1つは当選するだろう。
全部当選したらどうしょう。
その時になってから考えればいいや。
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